旧暦5月の風習とは?薬玉(くすだま)ってなに?
前回、旧暦についてのお話をしました。今日は5月の風習を紐解いてみたいと思います。5月と言えば、兜や鯉のぼりを飾る「端午(たんご)の節句」が思い浮かぶでしょう。
旧暦ではおよそ一か月遅れとなるため、もともとは新暦の6月ごろに祝う習慣がありました。現在でも続く行事でも、本来の季節感を照らし合わせると、また違った側面が見えてきます。
1. 端午の節句はどのような行事だった?
端午の節句は、はるか古く611年ころに記述が残っているそうです。男性は鹿狩りに女性は薬草摘みに出る行事で、薬を得るためのものでした。旧暦5月は長雨の続く時期、衛生状況のよくない時代には疫病などが蔓延しやすい季節。この頃に咲く「菖蒲(しょうぶ)」には薬効もあり、人々は菖蒲湯に入るなどして健康を願っていたのです。
時代は下り、武家社会の発展に伴い男児の立身出世を願うようになり「しょうぶ=尚武・勝負」という語呂にあやかって、現在に近い男の子のお祝い行事と変化したのです。そこで兜や鯉のぼりを飾るようになりました。鯉のぼりは「鯉の滝登り」を表し、これもまた子孫繁栄、出世の象徴とされています。
2. 端午の節句に飾られたくすだま
くすだまと言うと、なにかを達成した際に紐を引くと中から垂れ幕や紙吹雪が舞うものをイメージしますよね。これは割玉とも呼ばれ、祝い事に使われることから「久寿玉」と言う字をあてられることもあります。
一方、端午の節句には「薬玉(くすだま)」が飾られていました。これはもともと中国で行われていた端午の節句で魔除けとして使用されていた、香料や薬草を袋に詰めて飾り付けをしたものが始まりです。邪気を払い、不浄を避けるために柱や壁にかけていたと言われています。
3. 端午の節句に柏餅?ちまき?
端午の節句ではよく柏餅をいただきます。これは江戸時代に始まった習慣で、縁起の良さから定着しました。柏の葉は新芽が出るまで古い葉が落ちないという特性があり、家系が絶えないことに結びつけて考えられたからです。主に関東を中心にこの風習があります。
また一方で関西では「ちまき」が食べられています。中国の文化に由来し、はじめは厄払いの力があるとされた葉にもち米を包んでいましたが、次第に「茅(ちがや)」を用いるようなり「ちがやまき」から「ちまき」に変化したようです。
まとめ
今よりも衛生状況が良くなかった時代、高温多湿で病が流行った梅雨のころ。体力・免疫力のない幼子が健康に育つように願いを込めて過ごした「旧暦 皐月」。端午の節句を見ても分かるように、薬草をふんだんに用いて健やかな日々を送ることができる工夫をしていました。旧暦は自然の恵みを生かして、豊かな暮らしを実現するガイドラインにもなっていました。現代に生きる私たちも学ぶものがたくさんあるかもしれませんね。